終了
マノロ・ミリャレス展 ―スペイン現代美術の革新者―
開催期間
2003.03.112003.04.13
開催場所
泉屋博古館分館

マノロ・ミリャレス(Manolo,MILLARES1926~1972)
マノロ(マヌエル)・ミリャレスは、1926年2月17日、スペインのカナリア諸島のグラン・カナリア島、ラス・パルマスに生まれた。
ミリャレスの絵画上の修業は、独学で始められることとなった。1931年ゴヤのエッチングを知り、1940年現代美術に初めて接することとなった。
1943年、ミリャレスは、ホセ-・グティエレス・ソラ-ナ、アントニ・タピエスらとともに「11人展」(サロン・デ・ロス・オンセ)を結成する。同グル-プには、日本から藤田嗣治が参加している。
1949年にパウル・クレ-、ジョアン・ミロの影響を示す最初の作品を発表する。
1953年「壁(ムロ)」シリ-ズの第一作を発表する。サンティ-・スロ-スとともに「若きスペイン画家におけるデッサン」展を組織し、翌年ズック、陶器、砂、木による最初のコラ-ジュ作品を制作。ズックを用いた作品は、これが初めてである。
1955年パリを訪問し、マドリ-ドに定住する。1956年評論家ビンセンテ・アギレ-ラ・セルニ、建築家フェルナンデス・デル・ア-モとともに第1回非具象絵画サロンを組織、翌年他の仲間とともにマドリッドのアンフォルメルのグル-プ「エル・パ-ソ」を創設する。マドリッドのアテネオ(学芸協会)でズック展を開催、「アルピリェラス」(技法名)を発表する。
1956年第28回「ヴェネツィア・ビエンナ-レ」のスペイン館に出品、この頃から国際的に高い評価を受けることとなる。
1960年最初の版画を制作し、その後、セリグラフ、ドライ・ポイントなどによる重要な版画集を出版した。
1969年西サハラへの旅行の後、作品の色調が明るくなり、白を基調色とするようになる。
1970年オリノコのフンボルト・シリ-ズ、マノロ・パドルノの詩を含むシルクスクリ-ン本「トルケマダ」、エッチング集「アントロポファウナ」を制作する。シリ-ズ「人喰い牧神」を制作、翌年、パリ市立近代美術館にて展示される。
1972年8月14日、脳腫瘍のためマドリ-ドで逝去する。

1951年、スペインでは、地下抵抗運動が終了し、1953年には、「第一回抽象芸術会議」がサンタンデルで開催され、絵画世界にも自由の息吹が吹き始めた。
1955年、スペインは国際連合に加盟したことにより、美術界も外国から多くの影響を受けることとなった。いくつかの国際美術展が開催され、その結果、前衛美術に対する理解が深まったといえる。1956年の「ヴェネツィア・ビエンナ-レ」には、スペイン中の抽象美術のグル-プの隆盛が反映され、1957年には、「エル・パ-ソ」などといったグル-プが生まれた。
1959年に入ると、タピエスなど国際的に知られる画家たちが出現したが、今回のミリャレスもその一人と位置づけされる画家である。「非具象」「抽象」「アンフォルメル」の分野で大いに活躍し、神聖視されるにまで至ったのであった。ただ最も残念なことは、ミリャレスがその最盛期の時期に逝去したことである。

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